文明の進歩は、夏の死亡を減らした。 籾山政子「季節病カレンダー」

季節病、つまり季節によって流行がある病気というと、インフルエンザとか食中毒なんかが思い浮かぶ。インフルエンザは冬に猛威を振るうし、食中毒は夏に多い。小中学校時代なんかは、冬になるとインフルエンザが大流行して学級閉鎖するかどうか、なんてことになってたのを覚えている人も多いかと。

しかし、あんまり広くもない教室にたくさんの子供が生活しているというあのスタイル非常によくなかったんじゃないだろうか。おまけにストーブを付けていい条件もやけにきびしかったり。それを守らないと使用禁止になったり。

体の具合を悪くするための措置だったようにしか見えないんだが……まあいいや。

ともあれ、季節によって発生しやすい病気がある。それに着目して論じたのが、ブルーバックスのごく初期にラインナップとして刊行された「季節病カレンダー」である。

 

 

著者の籾山政子氏は、1918年生まれの気象庁気象研究所に勤めていた方。著者紹介を見ると、「女性研究者にはめずらしく活動の分野は広い」と書いてあるのだが……そもそも、この時代(この本は1963年初版)に女性研究者がどれくらいいて、どれくらい有意にそんなことがいえたのだろう?なんだか本題とは関係ないところで気にかかる著者紹介である。

この本では、流行病といってもカゼのようにかかって治る病気の件数の季節変化ではなく、そのまま亡くなってしまったケースの件数を扱っている。まあこれは、統計的に議論したいなら、データがふんだんにあるだけにそのほうが研究しやすいのは当然かもしれない。厚生省の統計には、病気別の死亡率の統計が含まれているので。

 

で、籾山氏の作った季節病カレンダー、まず基本的な傾向として、冬に人はよく死ぬ、というのがある。これはほとんどの病気で共通していて、結核や心臓病、脳卒中、肺炎・気管支炎、といずれも主に冬に死亡率が高まる傾向がある。ちなみにインフルエンザも冬に多いのだが、死亡に至ることは(当時でも)あまりないので、あまり扱われていない。

意外なのが、老衰である。グラフの変動そのものを見るとあまり大きな年較差があるわけではないのだが、それでも冬の方が多くなっている。

肺炎・気管支炎は要するにカゼがこじれた結果ということだろうから冬に多いのは分かるし、脳卒中が多いのもわかる。寒いところに急に出るとよくない、なんてのは今でも言われますよね。でも老衰もそうというのは興味深い。

興味深いのは、夏に気を付けなければいけない病気の代表のように言われる下痢や腸炎も冬の季節病として数えられているということ。死亡率で比べると冬に多くなっているのだそうだ。

この話には続きがあって。この「季節病カレンダー」で最も新しいデータとして使われているのは昭32-36(1957-61)年の間にとられた統計データを基にしたものなのだが、それとは別に、過去のデータを使ったカレンダーというのも紹介されていて、これで比較すると、時代の変化が如実に表されている。

これによると、先ほどの下痢・腸炎、実は戦前にはイメージ通りの夏に大きな山があったそうだ。明治大正は、下痢や腸炎による夏の死亡率は冬の倍以上あったのである。これが時代を下るにつれてだんだん山が小さくなり、昭和10年ごろには夏の山がなくなってしまった。結果、冬に山が出来たわけである。

紛わしいのだが、戦前と現在(というかこの本が書かれた1960年ごろ)だと、死亡率そのものが違う。戦前、特に明治大正期は、そもそも死亡率が今の水準でみたら異常に高い。だから、夏の死亡率の山がそのまま冬に移行したわけではなくて、夏の山がなくなって、冬の山だけが取り残されたような形に近い。

戦前の下痢・腸炎は死亡原因の中でもトップクラスだったのだが、今はそうではないし、昭和30年当時もすでにそうなっていたわけだ。言い換えると、夏に下痢や腸炎で死亡していた人が死ぬことがなくなったため、死亡率そのものが低下したともいえる。これについて、著者は、環境衛生対策や食品衛生行政が功をなしたのだろう、としている。同じことは赤痢にも言える。

これに限らず、戦前の季節病カレンダーには夏に流行がある病気が多かったそうで、脳卒中や心臓病なども明治時代には夏の終わりにも多かったし、老衰は冬と夏にピークがあった。

夏に人を死に追いやるのは、体が暑さで弱ってしまうところが大きいわけで、つまりこれは文明の進歩でわりに早い時期に克服できた障壁だったのだろう。実際、地域別に季節変化を調べると、都市部ほど早い時期に夏のピークが消えていくのだという。文明国ほど冬に死亡が増える、というか冬の寒さのほうが克服しにくいといったほうが近い気もする。

ちょっと興味深いのがガンが季節病であるということ。ガンによる死亡は秋に多い、という。戦前はこちらも夏にピークがあったのだが、戦後は秋にピークが移行している。これは冬ピークではないのだ。なぜこんなところにピークができるのか、理由は著者もよくわかりかねているようだが、夏の暑さで細胞の代謝が活発になってガンが進行して結果的に秋に死亡率が高くなるのではないか?としている。

季節病が時代によって変化したのは、医療をとりまく環境が文明によって進歩したためである。ということで、冬に死亡につながるような病気を防ぐためにどうすればいいか?という話も提案されている。まあ、暖房をきちんと入れるということなのだが、「人工気候」という言葉が出てくるあたりは時代を感じさせる。要するにエアコンで温度管理をするということなのだが。

「子供は風の子」というありふれた言い回しにもくぎをさしていて、5歳未満の乳幼児は肺炎や気管支炎、腸炎や下痢による死亡が非常に高いのでむしろ寒さに弱い。そのため、寒い時期に外で遊ばせていいのは5歳から、なのだという。

上でもちょっと触れたが、この本で登場した一番新しい統計は1960年ごろのものである。半世紀前だ。半世紀前というと大昔に見えるが、そこで比較されている明治大正と比べると、間違いなく「現代」だ。

じゃあ何もかもが同じかというと、そうでもないところもある。

本の終わりの方で、ちょっとSFじみた未来も紹介されている。つまり、人工気候によって、気候の脅威を取り除いてしまおうという話だ。はては、ベーリング海にダムを造ることで北極海を暖かくして、寒冷地隊を暖かくしてやろうという話まで登場する。これは寒い地域の本場であるソ連が大真面目に検討していたらしいのだが、今では言語道断の自然改造と言われそうである。

とはいえ、この本の統計が示しているのは、文明の進歩が死亡を減らして来た道、という。公衆衛生や保健医療の普及、といったほうがいいかもしれないが、夏にたくさん人が亡くなっていたピークは、戦後どころか、昭和に改元したあたりから急速に小さくなっている。かわりの山が現れた、というわけではないのだ(こまかいことをいうと、脳卒中など山が持ち上がっていたりするのだが、それは過去は別の原因で死んでいた人が長生きして老人病といわれる病気で亡くなったということだろう)。

となるとその先にあるものが自然改造というのは自然な流れかもしれない。このあたりの感覚が一番半世紀前との違いかもしれない。